2009年5月30日

久夛良木健は負けたのか? 美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史


最近、めっきり名前を聞かなくなった「プレイステーションの父」久夛良木健。
毀誉褒貶の激しいこの人物に関する本を読んだ。

著者はAV Watchなどでコラムを書かれている西田宗千佳氏。

久多良木氏が一貫して目指していたのは「新しいコンピュータを創ること」。ゲーム機を選んだのは、ゲーム機はほかの製品に比べて桁違いに売れるため、半導体製造においてスケールメリットを享受できるから(1億台売れるのであれば、開発に1,000億円かかっても1台あたりのコストは1,000円)。PS、PS2、PS3と、半導体製造への関わりがどんどん深くなっていったのはSCE(というか久多良木氏本人)の理想を追い求めて行った結果なのだろう。そして、最近のソニーの半導体への消極的な姿勢は、久多良木氏の時代が終ったことを雄弁に語っていると言える。

Cellの開発におけるソニー・東芝・IBMの技術者たちの挑戦(まったく新しいコンピュータアーキテクチャを創る!、四方がホワイトボードに囲まれた部屋でブレスト)などは、エンジニアのはしくれとして非常にうらやましい。強力なリーダーのもとで開発を行うのは大変でもあるし、面白い部分もあるんだろうな、と思う。

PS3の劣勢が続く今読んでて印象的だったのは、セガサターンに対する久多良木氏の評価。セガサターンはもともと3Dの表示能力は低く、完成間近でCPUを増やすことで何とか3D映像を表示させるようにしていた。それに対して久多良木氏、

「後付けで何とかなると思うほうが悪い。性能も良くならず、製造コストも跳ね上がる。ありものの組み合わせでは、いい結果は生まれないのです」


初期のPS3でPS2との互換のためにPS2のCPU(Emotion Engine)を後付けしちゃった人の言葉とは思えない。PS3開発時のゴタゴタ(OSの作り直し、半導体レーザーの量産難航)を読むと、創ろうとしていたものの巨大さがSCEのキャパをオーバーしてしまっていたように感じる。初代PSの開発時に「開発スケジュールの見積もりがうまい」「技術の見極めに天才的なところがある」と評された久多良木氏も、PS、PS2と続いた成功体験によってロマンを追い求めた結果、暴走してしまったのだろうか。

そのほか、「何言ってんだ、と思った」発言(P182)、PSPの□ボタン不具合問題(P253)、フライングディスク問題(P254)などの真相も。

世の中を変える製品を創り出すには、ある種エゴイスティックなリーダーが必要だと思う。スティーブ・ジョブズや宮本茂もきっとそうだろう。強力なキャラクターを持つ久多良木氏が表舞台から姿を消してしまったのは非常に残念。

久多良木健のことが好きな人も嫌いな人も別に興味無い人も、読んでみて損はないと思います。


久多良木健、ロマンの歴史

1975年
電気通信大学卒業。
卒論のテーマは「医療機器へのコンピューターグラフィックスの応用」。
同年、ソニー入社。液晶ディスプレイの研究を手がける。

その後、情報処理技術研究所へ異動。デジタル技術の研究に携わる。スーパーファミコンの音声出力用LSIなどを開発。

1989年10月
ソニーと任天堂、スーパーファミコン用CD-ROMドライブ共同開発スタート。任天堂はスーパーファミコン用外付アダプタとして、ソニーはスーパーファミコン互換一体型機「プレイステーション」として投入するプラン。

1991年6月
シカゴ・CESにて、任天堂、スーパーファミコン用CD-ROMドライブをフィリップスと共同開発すると発表。もともとは任天堂とソニーの共同開発を発表する予定だったが、直前で変更。結局、フィリップスとの共同開発も破談となり、スーパーファミコン用CD-ROMドライブは世に出ず。

1992年6月24日
品川・ソニー本社の経営会議にて、ソニー社長(当時)大賀典雄が家庭用ゲーム機参入を決定。プロジェクト名は「PS-X」。

1993年11月
ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)の子会社として、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)設立。

1994年12月3日
プレイステーション発売。

1996年2月9日
スクウェア、「ファイナルファンタジー」シリーズの最新作をプレイステーションで発売すると発表。

1999年4月1日
久夛良木、SCE社長就任。

2000年3月4日
プレイステーション2発売。

2001年4月
アメリカ・テキサス州オースティンに次世代プレイステーション用プロセッサ「Cell」開発のため「STIデザインセンター」が設立される。STIは、ソニー・東芝・IBMの頭文字をとったもの。

2001年末
ソニー・東芝・IBMがCellを共同開発していると公式に発表。

2002年初頭
PS3用グラフィックチップとしてNVIDIAと「RSX」を共同開発することを社内で決定。
最終的に契約が交わされたのは2004年夏。当初は、PS2と同じく、SCEと東芝が新グラフィックチップ(コードネーム「リアリティ・シンセサイザー」)を開発する予定だった。

2003年4月1日
久夛良木、ソニー本社の執行役員副社長に就任。
ホームエレクトロニクス・ゲーム・半導体部門を統括し、ソニーが出遅れた「薄型ハイビジョンテレビ」「DVDレコーダー」の立て直しを担当。

2003年5月28日
2003年度経営方針説明会にて、「PSX」を発表。

2003年10月28日
久夛良木と中鉢良治(現ソニー社長)が交渉を担当し、韓国・サムスン電子とテレビ向け大型液晶パネル製造で提携。その後、ソニーは2006年に金額ベースでの液晶テレビ世界シェアトップに。ただし、「久夛良木がソニーのテレビ事業を救った」とは必ずしも言い切れず、業界内では中鉢及び2005年にテレビ事業部のトップとなった井原勝美(現ソニー副社長)の手腕を評価する声も。

2004年12月12日
PSP発売。初期モデルの内製化率は50%強。

2005年3月7日
久夛良木、ソニー本社の取締役を退任。

2005年5月16日
アメリカ・ロサンゼルス、ソニー・ピクチャーズ第27ステージにてPS3お披露目。2006年春の発売を予定。

2006年3月15日
PS3の発売を同年11月まで延期すると発表。

2006年5月9日
E3にて価格を発表。
低価格版は499ドル、高価格版は599ドル。

2006年9月22日
東京ゲームショウにて、PS3低価格版を59,800円から49,980円に値下げすると発表。

2006年11月11日
PS3発売。
青色半導体レーザーの開発難航の影響で、初回出荷台数はアメリカ40万台、日本10万台。
ヨーロッパは発売を翌年春に延期することとなった。当初は、日米欧でそれぞれ100万台用意し同時発売する予定であった。

2006年12月1日
久夛良木、SCEの代表取締役社長兼CEOから会長兼CEOに昇格。
後任はSCEアメリカ社長の平井一夫。

2007年2月
ソニー。今後、半導体投資を大幅に削減すると発表。

2007年4月26日
夕方から始まったSCE取締役会で、久夛良木、SCE代表取締役社会長を退任。
深夜プレスリリースで発表される。

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